ーやどかりブログー バリバリ働くサラリーマンだったが、病気に倒れてシェルターを利用後、ピアサポーターになってくれたDさん。前編

やどかりスタッフ

こんにちは!やどかりサポート鹿児島の広報スタッフです。
暑いですが皆さんいかにお過ごしでしょう?

やどかりではお家に困っている人が緊急で滞在できるシェルターを運営しています。
このシェルターですが、利用者さんに近隣のスーパーを教えてあげたり、シェルターの使い方を教えてあげたりする仕事は、居住困難の経験を持つ先輩の利用者にお願いしています。
つまり実際にお家に困ったり、シェルターに入居経験がある方に、シェルターの運営をお手伝いいただいているんです。

今回はシェルターのお仕事を良く手伝って下さっている30代の利用者さん(Dさん)のインタビューをさせていただきました。

30代バリバリサラリーマンであったDさんがどうしてシェルター入居に至ったのか?その後のピアサポーターの仕事をするまでどんな心境だったのか、とても詳しく話して下さったので,

是非皆様にお読みいただけたら嬉しいです。

目次

Dさんがやどかりを利用したきっかけ

やどかりスタッフ

Dさんはピアサポーターとしてたくさんご協力くださり、また的確な意見を下さるのでいつもとても助かっています(^-^)!
「社会人としても第一線で活躍されていたんだろうな」といつも感じるのですが、シェルターを利用した経緯について教えていただけませんか?

Dさん

僕は元々運送業の営業をしていましたが、痛風になったせいで退職したんです。痛みで朦朧とした状態で市役所に相談したら、シェルターを紹介されました。
その後、シェルターからの転居時に、やどかりの連帯保証を利用させていただきました。

Dさん:それまでは自分が生活保護という制度を利用するとは思っていなかったし、やどかりサポート鹿児島の事も全く知りませんでした。

倒れる前の生活と、病気の始まり 

やどかりスタッフ

痛風で倒れる前はどんな生活をされていたのですか?

Dさん

痛風で倒れる前は、毎日忙しい生活を送っていましたね。
職場に人が足りていなかったこともあったのですが、仕事するのが楽しいと思っていたので、休みをもらっても出勤することが多かったです。月の休みは実質2日くらいでした。生活も不規則でしたね。

Dさん:
結婚して子供もいましたが、離婚して一人暮らしをしていました。

ある日、足がねん挫したように痛くなってきました。
今思うとそれが痛風の始まりだったのですが、その時は「前にケガをしたところが痛むのかな?」と深刻に考えなかったんですね。

1年くらいたつ頃には、足だけではなく体中の関節が痛むようになり、痛むスパンも数か月ごとだったのが、2週間おきくらいに短くなってきました。
それでも休めば痛みは引いていくし、当時は仕事が忙しかったこともあり、そのまま放っておいてしまいました。

そんな生活の中、どうしても穴をあけられない仕事を会社から頼まれ、トラックで荷物を運ぶことになりました。
ところが、県外のパーキングエリアで仮眠から目覚めると、足が象のように腫れ、痛くて動くことができません。荷物の到着が遅れたことで会社に損失を与えてしまいました。
会社は許してくれたのですが、自責の念に駆られて退社しました。

その後は知り合いの事業を手伝いもしたのですが、足の痛みは治りません。「少し休んでゆっくりしたら?」とアドバイスされたこともあり、自宅療養することにしました。
この時は「働いていたころの蓄えもあるし、しばらく休めれば治るだろう」と気楽に考えていましたね。

自宅療養中は、足が痛くてスーパーに行けないので、ほとんど毎日のように出前を取っていました。痛風にはそれが悪かったようで、関節の痛みがどんどんひどくなり、四六時中痛むようになりました。あまりにも痛いので、お風呂に入るのも部屋の中を這っていくほどでした。

そのころから痛みをお酒を使ってごまかすようになりました。
以前は軽く晩酌をするくらいでしたが、朝から痛みに苦しめられるので、1日中飲んでしまうようになっていました。朝は「今日こそ病院に行かないと」と思うのですが、痛くて酒を飲むとそのことを忘れてしまい、同じことを繰り返してしまっていたんです。

やどかりスタッフ

痛風の痛みは骨折の痛みに匹敵するくらい痛いと言いますよね…
全身その状態なのに、どうして病院に行かれなかったのですか?
( ̄□ ̄;)

Dさん

「自分でも「どうして病院に行かなかったんだろう?」と不思議に思うのですが、今でもよくわかりません…(>_<)
動けなくても、タクシーを拾って病院にいけば良かったとも思うのですが、「こんなみっともない姿をタクシーの運転手さんに見せたくない」という思いもありました。今まで大きな病気をしたこともなかったし、楽観的に考えていたんですよね…。
それと、子供のころに病院に行った時に、医者にきつく叱られた事があり、病院受診に対してネガティブな気持ちを持ってしまっていたんです。色んな気持ちがあり、病院を避けてしまったのかもしれません…。



市役所に相談し、シェルターを紹介してもらう

Dさん

Dさん:
自宅療養を始めてから半年くらいたったころでしょうか。電力会社から「電気を止めます」の通知がきて、預金口座が空っぽになっていることに初めて気が付きました。 

 そこで車を売却してお金を作ったのですが、元妻に子供の養育費の残りを支払うなどしてそれもすぐ無くなり、住んでいた部屋を解約しないといけなくなりました。 

Dさん:
実はその時、お付き合いしていた女性がいて、その人から「行く所がないなら家に来たら」と言われていました。でも人に頼るのがどうしても嫌で、賃貸契約の解約後はその人の家に行くはずが、意識が朦朧とする中タクシーで市役所に行きました。 

到着した日が丁度GWの前日で、夕方だったのですが、「歩ける状態ではないので保護します」とシェルターを紹介されました。対応してくれた方が良い方だったんだと思います。 

Dさんの指。痛風結節と言われる症状が治っておらず、まだ指が曲がらない.

シェルター入居中の状況

Dさん

Dさん:
GWの間は痛くて動けず、体中が何も考えられないくらい痛いので、ずっと横になっているしかありませんでした。 
シェルターに入る前に病院で検査を受けていたので、結果を聞きに行くと痛風と診断され、「血液検査で信じられない異常な数値が出ている」と言われました。  

Dさん:
シェルターの滞在期間は限られているので、今後の住所が問題になりました。その時にやどかりサポート鹿児島を紹介され、物件も見つけてもらいました。 
しかし入居後も体が痛くて横になっていることが多く、荷物を運ぶこともできませんでした。 

そんな時に芝田さん(やどかりサポート鹿児島の理事長)が布団を運んでくれたり、近所に住む利用者さんに紹介してくれたりして友達が出来たのは、とても有難いことだった思っています。 

体が痛いので寝込んでいる時間が長かったのですが、芝田さんが毎週様子を見に訪ねてきてくれたり、友達が訪ねてきたりして、常に誰かが部屋にいるような状態でした。


バリバリ働いていたサラリーマンだったのに突然の病気に倒れてしまい、シェルターを使うことになったDさん。
後編では病気を療養しながらピアサポーターとして働いて下さっているDさんに、やどかりサポート鹿児島への思いや、今後の展望についてお話しいただきます。


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